管理職か、プレイヤーか。葛藤しながらも可能性を広げてきた10年間と、その先に目指すもの

2019年12月、福岡支社で3DCG部門のマネージャーを務める毛利 崇が、gumi史上初となる「勤続10年」を達成しました。毛利は、福岡で『誰ガ為のアルケミスト』の3DCG制作を担う部門を立ち上げ、今は管理職としてそのチームを率いています。しかし、管理職としてのキャリアは、入社当初思い描いていたキャリアとは違ったと言います。
なぜ理想とは違う道を選んだのか、そして、今そのキャリアをどう振り返るのか。本音をさらけ出して語ってもらいました。

◆プロフィール

毛利 崇(もうり・たかし)

福岡支社の3DCG部門Manager。2009年にデザイナーとして入社し、Flashのアニメーションやコーディングを担当。ネイティブアプリに移行してからは、HTML5やUnityを使った開発を行う。2016年から福岡支社へ。ゲームと、福岡の街を飲み歩くことが生きがい。コロナ期間中は、家飲みが増えて料理にハマる。座右の銘は、「メモは取らない。自分の脳に刻まれないと成長にならないから」

夢への一歩、ゲームクリエイターとしての道

gumiの福岡支社で3DCGチームのマネージャーをしている、毛利と言います。2009年にWebデザイナーとしてgumiに入社し、現在は、制作で手を動かすのではなく、チームのマネジメントに特化しています。

僕は、幼少期から根っからのゲーム好きで、ずっとゲームづくりに携わることが夢でした。

今もゲーム好きは変わらず、家の中までゲーセン化しています(笑)。

昔は、ゲーム好きというとオタクのイメージが結構強かったですから、まあ、学生時代はまったくモテませんでしたね(ということを言い訳にしています)。
でも、青春を台無しにしたなんて、一切思っていません。なけなしの小遣いを握りしめてゲーセンに行き、アーケードゲーム機に向き合っている瞬間が、僕の青春そのものでしたから。当時は特に格闘系のゲームにハマっていました。負けなければプレイを継続できるので、ものすごい集中力が必要でしたし、ミスするとすごく悔しくて、次こそは!ってなるんですよね。小さい頃にこんなにも熱中できるものに出会ったことが、その後の自分の人生に大きな影響を与えていると思います。現に、いまこうしてゲーム会社で働いているわけですからね。

高校卒業後は、ゲームクリエイターになることを夢見て、大分から上京して3DCGの専門学校に入りました。その後は、Web系の会社を経て、Webデザイナーとしてgumiへ入社します。当時のgumiは、まだまだ若い創業2年目。メンバーも十数人で、僕を面接して採用してくれたのは、創業者の國光さんでした。今では考えられないですよね(笑)。

gumiでは最初、Flashのアニメーションやコーディングを担当していました。一旗揚げたいメンバーが集まっていましたし、國光さんも、売上が厳しい時でも受託に踏み切らず、現場に挑戦を続けさせてくれました。そんな環境だったので、自分も含めて皆やる気に満ち溢れていました。

当時の僕は、会社と一緒に成長して、デザイナーのプロフェッショナルとして活躍していく将来像に疑う余地はありませんでした。幼少期からの憧れだった、ゲームクリエイターになれる確信を持てていたんです。

現在の福岡の自宅にも様々なアーケードゲームやテレビゲームが置かれ、まさにゲーセンそのもの。

自分の中のパラダイムシフト

でも、現実はそう思い通りにはいきません。

事業がネイティブアプリに移行して、会社も波に乗ってきて、人もどんどん増えていく中で、次第にマネジメントの役割を求められるようになっていきました。昔から、後輩の面倒を見るのは好きなほうではありましたが、やりたかったゲーム制作からどんどん離れていく……。もどかしさが大きくなっていった、というより、正直寂しかったですね。

でも、自分でもなんとなく分かっていました。自分が積み上げてきたスキルと、今求められているスキルに乖離があることを。それを今から埋めるのは厳しいことも。

当時は人手不足だったこともあり、マネジメント業務をやりながら制作も行っていました。やはり、チームをリードする立場として、自分も現場のデザイナーと同じレベルの技術力を持つべきと考えていたんです。しかし、怒涛のように制作を進めていかなければならない中、管理職としては、運営体制の整備に全力を注がざるを得ない状況になっていきました。

決定打は、ある日上司に言われた一言でした。

「君は手を動かしても大したもの作れないんだから、管理業務に集中したら?」

尊敬する上司からの正直な意見に、ポジティブ人間の僕も流石にショックを受けました。
薄々感じてたとは言え、ここまではっきり言われるとは……。

それでも物は考えようで、これもきっと与えられたチャンスなんだと思いました。ゲームづくりの夢が閉ざされるわけでもなかったですし。自分の得意なことでゲームづくりに携わり、組織に貢献することができるなら、これほど幸せなことはないじゃないか!それに、マネジメントの面白さややりがいを知れる人は希少。自分は、そんな経験ができるチャンスをもらえた幸運な人なんだ!って。

そういう発想に切り替わっていきました。自分の余計なプライドを捨てた瞬間でしたね。
もう少しカッコよく言うと、大局を捉えることができるようになった!という感じですね(笑)。

でも、マネジメントの業務が面白くなかったら、そうは思えていなかったかもしれません。
実際、任されていた業務にとてもやりがいを感じていたので、前向きに捉えることができたんだと思います。

時代に合わせて変えてきた、マネジメントの心構え

2016年に福岡支社の3DCG部門立ち上げを担当したことは、今でも印象に残っています。
福岡で「誰ガ為のアルケミスト」の運用が始まったとき、まだ福岡には3DCGチームがありませんでした。急いでメンバーを集めないといけないのに、福岡は東京ほど人材が豊富ではないため、募集をかけてもなかなか人が集まりません。時間的な制約を踏まえると、採用ではなく外部の開発会社から協力者を獲得するしかありませんでした。

泥臭いですが、文字通り、開発会社を1社ずつ回って営業に行きました。
その時肝になったのが、gumiが求めるスピードやクオリティについていけるのか、しっかりコミュニケーションが取れるのか、スポットではなく長い付き合いができるのかなどをしっかり見極めること。そして、そのうえで、お金の繋がりだけじゃない真のパートナーとしての信頼関係を構築することでした。

ここにおいては、3DCGに関してド素人だと難しいと思いますが、自分には一定の知見があったので、適切なコミュニケーションが取れたと思っています。営業でも自分の経験が活かせて良かったなと。
努力の甲斐あって、協力いただける会社も順調に増やすことができました。

その後、4年かけて新卒も含めて採用での人材獲得が進み、ようやく一つの部署として成り立たせることができました。

管理職として一番重要だと思うことは、相手に対してリスペクトを持つことです。コミュニケーションも一方的にならないように気を付けています。個人間でも組織間でも、意見が食い違うのは当然ですから。
事業の成功という目的を達成するために、いろんな価値観を受け入れ、一緒に働くメンバーとの信頼関係を構築することを最も重視しています。

これだけ言うと、「良いマネージャー」っぽく聞こえますよね。でも、この考えに至ったのは比較的最近でして……。

実は、昔は考え方が180度違ったんです。業績が厳しいときに残業もしないで帰っている人を見ると、「何で売上が出ていないのに帰っちゃうんだろう」と本気で思っていましたね。今部下に「帰るな」って言ったら、完全にパワハラになりますけど(笑)。僕がgumiに入社した創業初期は激務であることが普通で、自分含めそれを苦と思っている人はほとんどいなかったので、自然と残業するのは当たり前という考え方になっていました。

でも、その後組織が大きくなるにつれて、異なるモチベーションや価値観を持った人も入ってきて、当たり前が当たり前ではなくなっていきました。会社も、社会全体としても、働き方が見直されている時期でもありましたし。

これは自分のスタンスを変えないとダメだな、と思ったんです。過去の自分を否定することにはなりますが、まあ、過去に拘っていたら、長生きするのに苦労するなって考えるようにしました。自分の過去の経験や苦労を今の時代の人たちに押し付けるのは間違いですからね。

「10年間、まったく退屈することがなかった。」 変化も楽しむ前向きさ

そんな考え方の変化もあり、gumiで管理職としてキャリアを積み上げてきて……、気付いたらgumi歴は10年目に!なんと、勤続10年の社員は僕が初だということです。

「勤続10年表彰」で胴上げされる毛利。

人の入れ替わりが激しいと言われるゲーム業界で、「なぜ一社に10年も?」と思われるかもしれません。でも、今思い返しても、gumiを出る理由はなかったんです。新しいことにどんどん挑戦させてもらっていたので、10年間まったく退屈することがありませんでした。技術基盤の変化へも素早く対応していたので、常に最新の技術に触れられていました。マネジメントを任されてからは業務もガラッと変わり、責任も増えました。

もちろん、その分大変なこともたくさんありました。

実は、1年間だけプランナーをやっていた時期があるんです。
当時はまだ東京にいたのですが、開発のヘルプで福岡に行くことになり、プランナーとして運営責任者を任されました。当初は2週間の出張予定だったのですが、東京に戻ろうとしたらプロデューサーの今泉さんに止められ、結局そのまま1年間福岡に残ることになりました。そんな経緯だったので、東京で借りていた家のオーナーが心配して電話をかけてきまして、どうやら失踪したと思われていたみたいです(笑)。

というのは余談なのですが、真面目な話、プランナーの経験は管理職としてのキャリア形成に役立つだろうと今泉さんに勧められたんです。その時は「ぜひ挑戦してみたい」と引き受けたのですが、gumiライフで一番辛い時期だったと断言できますね。

デザイナーの立場のときは、正直プランナーに対して不満を持つことも多々あったのですが、実際に自分自身がプランナーの立場になってみると、手を動かしても終わらない、色々な関係者と調整しないといけない、常に先読みしないといけない……。多くのプレッシャーやストレスも抱えて業務遂行していく辛さを体感しました。プランナー業務がすごく大変で難しいことを、身をもって知ったわけです。やはり、経験してみないと分からないことってありますよね。
でも、この経験があったから、相手の意見を汲みながら自分の要望を伝える形のコミュニケーションが取れるようになりました。
地獄の日々でしたが、今となっては機会を与えてくれた上司に感謝していますね。

それから、退屈しなかったもう一つの理由は、スピード感ですね。
ゲームの運営も、毎週アップデートを入れるようにしていて、作りながら軌道修正していきます。できるかできないかではなく、「やる」ありきで、どんどん動く。失敗を恐れて行動しないことに否定的な文化であることが、スピード感を生んでいるんだと思います。

10年間、とにかく変化と挑戦の連続でしたが、むしろそれが刺激的で楽しかったですね。本当に辛いときには支えてくれる同僚や上司の存在も大きかったです変化を受け入れ、大変なことも楽しんできたから、昔からの夢だったゲーム制作に今も携われているんですよ。

仲間と忘年会のゲームを仲間と楽しむ毛利。福岡支社のムードメーカー的存在。

大事なのは、現状に満足せず何度でもトライする粘り強さ

ゲーム制作には、多様な役割やスキルを持った人たちが関わっています。クリエイティブな仕事をしている人もいれば、自分のように、管理職としてゲーム制作に携わっている人もいます。
僕は、今はマネジメントに特化していますが、いずれはまた制作にも関わりたいと思っています。目指すは、管理職とプレイヤーの二刀流!gumiの大谷翔平になることです(笑)なので、実はこれは上司にも言ったことがないのですが、チャンスがあれば海外にも挑戦してみたいという野望も密かに持っています。

色々な選択肢がある中で、どの方向でキャリアを積み上げていくか、悩むことも当然あると思います。実際にやってみないと、自分が何に向いているか分からないこともありますしね。

でも、どの役割であっても重要なことがあります。それは、関わる事業に対して自分の意見を持っていること
現状に満足せず、より良くするための意見を出して、1度や2度意見が通らなくても、何度でもトライする粘り強さが大切です。一つのチーム、一つの組織として、会社の文化やサービスを担っていくわけですからね。

自分の役割に責任感と熱意を持って取り組めば、gumiでは様々なチャンスが与えられるはずです!そして、自分に合ったキャリアを切り開くことができる。僕がそうでしたからね!

<編集後記>
10年間のキャリアの中で、様々な葛藤や試練を乗り越え、いや、楽しみながら柔軟に自身の存在価値を高めてきた毛利氏。良くも悪くも大きな流れに身を任せつつ、ここぞというときにチャンスを掴み取る強い意志を持つことの大切さを教えてもらいました。長期間gumiで働き続け、その中でキャリアチェンジも成し遂げてきた希少な存在である毛利氏。

最後に、そんな彼にこんな異名を送ることにします……、「狂気の珍獣」。